尾瀬沼           平成27年6月3~4日 谷路会員

 
   
   金沢7時出発、北陸道から長岡JCで関越道、堀之内で下りて国道252号線に入る。
 電車であるいは関越道から見える越後三山、車窓からの眺めながら左手に魚野川支流沿い広がる水田地帯は、
 奥が深そうでその先はどんな風景かと気になっていた。
 積年の想いを晴らすべくいまそこを走る。国境は険しい山岳が聳え立つ。六十里越えトンネルを抜ければ会津。
 会津の山々は懐が深い。往時六里の行程が六十里と称されるほどの山道の険しさ困難さ。
 昔の旅人の労苦を思う間もなくトンネルを出、曲がりくねった道路を走ると眼下に巨大な田子倉湖。
 今日のダム湖周辺は霧がかかり幻想的な風景が広がる。近くには河合継之記念館があるが立ち寄る時間がない。
 長岡藩異能の指揮官は北越戦争で負傷敗走して会津若松に抜けるもう一つの峠道八十里越えを越えて、
 会津塩沢で力尽きた。
 
    
   只見から桧枝岐へ、まる屋で名物の裁ちそばを食べる。
 御池からシャトルバスに乗るが道路陥没のため長沢まであとは車道を1時間歩き沼山峠休憩所着。
 オオシラビソの樹林帯は雪上歩き、夏道が少ししか出ていない。峠を越えてしばらく下ると展望台、尾瀬沼が見える。
 大江湿原まで下ると水芭蕉の群落が広がり尾瀬に入ったことを実感する。ダケカンバの新緑が清々しい。
 5時尾瀬沼ヒュッテ到着。時間どおりですねと管理人、夕食は5時から朝食は6時から、早いのは山小屋時間ですからと言う。
 宿泊客は40人程度か熟年夫婦や元気なご婦人グループがほとんど、食事を終えて早々に就寝。
 朝6時朝食を済ませ沼を時計方向に廻る。寒く小雨が時折降るお天気。木道の腐食破損が著しく、
 少しずつ更新されているが大半は未修理。滑りやすく荒れたコースは半分以上残雪に蔽われている。
 歩く人はまばらで静かな山歩きを楽しむ。燧ケ岳山頂は雲の中。モノトーンの世界に沼のさざ波が大地の震えのように見える。  
 
      
   メアリーは転ばないように慎重に歩く。彼女はアメリカから年に一回日本に来る。尾瀬は今回で3回目、尾瀬沼でメアリーの尾瀬行は最後になる。
 繊細で心が震えるような日本の美しい自然、そのなかでも尾瀬は特別まさに奇跡のような地域だろう。
 だが沼は放射能で汚染されているらしい。むかし東京電力は尾瀬に貯水池をつくろうとした。
 武田久吉先生たちの反対運動で計画は頓挫。数十年後4年前の原発事故で放射能が天上の楽園、美しい山河を覆った。目に見えぬ放射能は不気味極まりない。
 小沼から沼尻に出る。ハイカーたちが尾瀬原方面から登ってくる。
 高齢者のツアー客のなかに若い人たちがチラホラ 最近はこんな団体さんをよく見かける。
 休憩舎は満員、早々にトイレを済ませ歩き出す。沼北岸の木道は歩きやすい。
 ウグイスの声に耳を傾け足元のミズバショウを愛でミネザクラの花に心をなごませる。
 浅湖湿原を過ぎオオシラビソの森を抜ける。最近ニホンジカが増え食害があるようで調査用なのか網が見える。
 樹林帯から大江湿原に出ると長蔵小屋が見えだす。これで沼を一周したことになる。昨日歩いた木道を沼山峠に向かう。
 水芭蕉の合間にギョウジャニンニクの群落が美味しそう。
 昨日の夕食にイワナやマイタケ、ギョウジャニンニクの天婦羅が出た。
 給仕の娘さんが具材の説明をしたときにギョウジャニンニクはあそこから採って来たのと聞いたら、あわてて笑いながら否定した。
 
   
   二組の団体さんをやり過ごしそのあとに続く。降りてくるハイカーたちと挨拶を交わしながら登る。
 シーズンともなれば大変な行列だろう。峠からは下り、メアリーは下りより登りのほうがいいとのこと、慎重に苦労して歩いている。
 峠の休憩所では嬉しいことにバスが動いている。
 昨日歩いた長沢近くまでピストンで輸送し15分ほど歩いて再度バスに乗り御池に到着。心配していた雨に見舞われなくて幸運だった。
 桧枝岐に入り先ずは武田久吉氏(1883-1972)のメモリアルホールを見学する。
 川向のミニ尾瀬公園の入り口に木造の建物があり2階に武田先生の遺品や資料などが展示してある。
 日本山岳会の創立会員でもあり会から寄贈を受けた資料も多いとある。
 パネルで専門の植物学や交友関係、愛用のカメラや頑丈な登山靴、顕微鏡、擦り切れたザックなどに氏の人柄が偲ばれる。
 父君はアーネスト・サトー氏、りっぱな容貌をしておられるが当時ハーフということで不愉快な思いを持たれたこと多々あったことは容易に想像できる。  
 
     
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