笹ヶ峰 火打山 信州高山村  2015年8月3~6日 谷路会員
8月3日
 上信越自動車道上越高田あたりから雷と豪雨でいやな感じがした。妙高高原で降りると小雨、笹ヶ峰に来ると雨も上がったようでほっとする。標高1300m、笹ヶ峰キャンプ場着。空気はひんやりして気持ちがいい。金沢とは10℃違う。
キャンプ場にはオートキャンプの場所もあるが広々としたフリーサイトでテントを張る。料金は2泊で3700円。家族連れや登山者などが思い思いの場所に仮宿を設けている。
笹ヶ峰へは9年前小谷温泉から来たことがあるがここ数年乙見山トンネル付近で工事中なので林道は通行出来ない。
8月4日
 山の夜明けは鳥の鳴き声から、登山者達が身支度を整え山に向かう。
火打山登山口駐車場は満車、九州などずいぶん遠くから来た人たちもいる。木道で整備されたブナの森を歩く。
ここは日本有数の豪雪地域、明るいブナの森に自然の素晴らしさを感じさせる。新緑に紅葉 見事な世界だろう。
横浜から来たという大きなザックを背負った女子高校生の一団と相前後しながら歩く。黒沢を過ぎると急登、喘ぎながら登る。
下山者は高齢者特に女性が多い。山小屋泊まりでのんびり登山と言ったところか。富士見平から道は緩やかになりぐっと歩きやすくなる。コース脇の谷川に張り出した巨岩の上から火打山、焼山が見えだす。単独登山の元気な山ガールが追い越してゆく。
高谷池ヒュッテ着、昼食を取っていたら女子高校生一団も到着、近くの野営地へ直行嬉々としてテントを張りだした。
  
 火打山に向かう。池塘が山影を写し遠く白馬連峰が雲をまとっている。
少し登ると天然のロックガーデンといった風情、雪解け水の小流れとハクサンコザクラなど花々が可憐。
少し下るとそこは天狗の庭、名に由来が?池塘を前景に火打山が近い。気持ちの良い木道を歩き稜線に登ると風景が変わる。
右側斜面は崩壊し直下に残雪、その下斜面から霧が漂う鬱蒼とした森が広がる。頂上まで2㎞地点で帰りの体力を考えて引き返す。
高谷池に分岐点があり妙高山への登山道となっている。
 妙高山は2回登っている。初めて登った山らしい山、1967年の5月だからもう48年前になる。
単独で豊富な残雪を踏み山小屋で1泊、翌日頂上を踏んだ。その後山岳会のグループ登山。
20代半ばまで盛んに山登りをしていたがその後は山から遠ざかった。
かつて登ったことのある山はいくばくかの思い出や感傷もあり初めての山とは多少気分が違う。
最近の山歩きは頂上を目指すよりも周りの風景を楽しむことが主になる。
自然は美しい、しかし人間が作ったものもまた美しいと感じたことは初めてのヨーロッパ旅行の時からか。
休みと水分補給を多く採りながらゆっくりと下山。黒沢の水場の水は冷たくおいしい。キャンプ場に戻り休養。
  
8月5日
 キャンプ場は早朝散歩が楽しい。
 ここは高地トレーニングの場となっていて高校生の中距離強化選手たちが走っていく。
笹ヶ峰牧場の方へ歩くと京大ヒュッテ、それを過ぎると雪山讃歌の歌碑。
歌は40年前くらいだとよく耳にしたが最近の山ガールたちは知っているだろうか。
京大学士山岳会は西堀英三郎、今西錦司、桑原武夫氏などで知られる。 
牧場の牛たちをひと時眺めながら笹ヶ峰グリーンハウスを覗く。ここは選手たちの宿泊所にもなっている。
牧場を通り抜けるウオーキングコースがあり少し歩いてみたが引き返しドイツトウヒの森を歩く。
童話や民話の世界、トウヒやモミの暗い森は物の怪が潜んでいるような感じを起させる。
ドイツ南部シュバルツバルトはトウヒが主に植林されているそうで、この森と雰囲気が似ているらしい。
杉やヒノキで植林された森、またはブナやナラ、栃、楓など原生林の日本の森とは明らかに違う。いまは県民の森として保護されている
 
 霧が立ち込めれば所在がつかめぬ迷路のような森、降り注ぐ神秘的な光は自己を内省に誘う。
ドイツの森は瞑想、思索に適し森の民ゲルマンの心情、古層とでもいうべき精神の骨格を形成した。
ラテン的な明晰さに対して深い情念が渦巻くような世界。例えばベートーベンや、ゲーテ、カント。
若き日の犬養道子さんが瑞々しい感性で印象を語られた(西欧の顔を求めて 森の民)。
30年で一世代、一世代半後の現代ドイツの若者の精神はどうだろうか?ふとドイツの友人・知人の顔を想う。
いまはダンナの仕事の都合でスペインに住んでいるマヌエラと上高地を一緒に歩いたことがある。
国でキノコを探して森を歩くことが楽しみだったと話していた。
 笹ヶ峰を去り18号線から千曲川に架かる小布施橋を渡り信州高山村に入る。
蕨温泉につかり山田温泉地区でそばを食べて山田牧場へ。ここは標高1,500m、夏は牛を放牧し冬はスキー場になっている。
ペンションや食堂などが見え道路わきに山田牧場キャンプ場がある。下見をして志賀高原へ向かう。
 志賀高原は山とスキーを楽しんでいたころ数回スキーに来たことがある。40年あまり前なので何も覚えていない。
冬の一大スキーリゾート地だが夏場の今観光バスや車が多い。奥志賀に入る。
昨夏信州秋山郷を訪ね魚野川と雑魚川の合流地点切明温泉まで行った。雑魚川の上流は志賀高原でその風景を見たくてここまで来た。
 
    
 高天ヶ原が雑魚川の最上流地域のひとつのようで一ノ瀬まで来ると小さな流れが見え出す。
橋の下手に「いわな原種保存区」の表示があり橋上から細流を写す。
高原はスキー場スロープ以外豊かな樹林に蔽われ深い緑になっている。
鈴木牧之が秋山郷を訪ねてから200年近く、世は移り変わり雑魚川上流は冬場日本有数のスキーレジャー地となり年間数百万人が来る。
大量の汚水、排水が浄化されてはいても川に流される。下流の秋山郷を流れる中津川は信濃川までの排水河川のようにも見える。
牧之さん 現代では秘境秋山郷、雑魚川最上流の高原はホテルが立ち並ぶ巨大なリゾート地に変わっていますよ!!
道路標識に野沢温泉、秋山郷、カヤノ平、奥志賀高原とありどうやらここまでかと思う。
地図で見ると秋山郷や野沢温泉までの山岳道路は長く狭そうで通行したい気が起きない。
奥志賀高原ホテルは左岸を少し登ったところにある。ホテルから少し離れた芝生の上に森の音楽堂が建ち見学自由となっている。
木造の小ホールで近くにオザワ・セイジ氏の別荘があり氏の指導とのこと。金管アンサンブルの練習中で3時からリハーサルがある。
セイジ・オザワ松本フエステイバルOMF室内勉強会で8日に無料コンサートがありスキンヘッドの外国人講師が熱心に若者たちを指導している。
30分ほど聴いて奥志賀を出る。ここへはもう来ることもあるまいと思いながらゆっくり来た道を走る。
志賀高原の夏は冷涼で学生たちが勉強など夏季合宿に結構来ている。
   
  
  熊の湯手前から右折高山村に向かい笠岳峠の茶屋で車を泊めると後続の車から熟年夫婦も下りてこられる。
金沢ナンバーということで話しかけられる。千葉県野田在で4,5日の休みを取り高山、白川郷を経由して金沢まで行くと言われ。
主人の最近の趣味がチエロの製作とのこと、話し始めると話題が繋がり楽しいひと時を過ごす。
いつか再会の機会を持てればうれしい。
 山田牧場キャンプ場に入る。管理人は不在、料金を封筒に入れて小屋の郵便受けに入れる。
1泊千円なり。小さなキャンプ場で4,5組のテントが見える。水場に近い場所にスノコ板が張ってありそこで設営、今宵の宿とする。
附近を散歩、ペンションやレストラン、ショップの前をひと回り。
ペンションは県外から来た高校野球部員たちの合宿で賑わっている。
日が暮れて早々に就寝。涼しく快適な一夜となる。
8月6日
 洗顔してキャンパー夫妻に挨拶するとお茶をどうぞと招かれる。主人77歳、夫人は75歳、仕事を整理してから旅三昧らしい。
大阪在で“暑い大阪にいたら死んでしまいますわ”と笑われる。
観光などにはさほど興味なく気に入った土地の雰囲気と時間を楽しんでいるよう。
キャンピングカーで日本全県ほとんど廻り北海道も9回行っている、ここのキャンプ場が静かで気に入り毎夏通い詰めていると言う。
9月の中ごろまでここにいて大阪に帰るかまたどこか旅に出るか・・・馴染の人たちと会うことも大きな楽しみの一つと言われる。
月日は百代の過客・・・旅に人生を重ねる日本人は多い。
  
 夫人は旅暮らしで多くの人と出会い、いかにそれまで自分が狭い世界に生きて来たことかを痛感した。
出会いと言えばコーラスの会で歌っていた折、ある寺院かどこかで中村元先生に会われたことがある。
その折の先生の印象が忘れられないと話す。ひとしきり中村先生の話が話題になる。
鈴木大拙の著作は仏教語(死語、難解)が多くよくわからないが中村先生は人間釈迦の魅力、思想を現代日本語で我々素人にわかりやすく伝えられ、ある意味では大拙よりも偉いように思われる。
特にパーリ語、サンスクリット語などから翻訳された初期仏教経典は時折読み返したくなる。
人は大きな人格に触れると忘れがたい想いを持つ。もっとも当人の感度が低ければどうしようもないが。
 2時間ほどムダ話を楽しみテントを片付け出発する。山を下り昨日の蕨温泉が気に入ったので朝湯につかる。
露天風呂からお天気の良い時は北アルプスが望める。
高山村は長寿村で有名、老人たちの生きがいや健康に村当局がずいぶん力を尽くしてきたようだ。
 4年前京都の植村氏がここ信州高山村一茶館でお茶を一服差し上げたいと楽しい誘いがあった。
金沢で弁当を買いその頃ホームステイしていたプリンストン大学のジェニファーを伴い来たことがある。
一茶が俳句の指導をした豪農の離れを移築した家が茶席で特製の小布施のお菓子でお茶を頂き弁当を食べ一茶館を見学した。
 梅が香やどなたが来ても欠茶わん  一茶   その折にもらった一枚の絵皿
ジェニファーに日本人には時折風流人というのがいる。
普通の社会生活の通念から外れた人間で社会システムに背を向けているわけでもないが世の人と違った価値観で生きている人たちで彼は風流人の見本みたいなものだと説明した。
エリート娘は2か月の金沢生活で風流人に会ったことがよほど印象に残ったのかゲストノートに記してあった。
小布施橋を渡り18号線北上、飯綱高原から戸隠、鬼無里で昼食、白馬に出て糸魚川から高速道で暑い金沢に帰る。
                                                (文・写真 谷路一昭)

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