第22回 久弥祭と富士写ヶ岳 報告  平成30年4月22日  
日時 : 2018年4月22日(日曜日)
天気 : 快晴のち薄曇り
参加者:樽矢、大庭、塚谷、池本、織田、埴崎、太田、廣瀬、八十嶋、尾山、大幡、藤井、
    堀岡、下坂、町口、中川  以上16名

 昨日の定期総会を終え、今日は第22回の久弥祭へ。朝食抜きで6時前には中宮セミナーハウスをあとにした。
8時からの久弥祭には余裕で間に合い、受付を済ませて大幡さんの司会進行で開式。
昨年に続き晴天に恵まれ、祭壇の背後には新緑の冨士写ヶ岳が均整のとれた姿を湖面に写していた。
深田久弥と山の文化を愛する会の紋屋理事長が挨拶に立ち、多くの参加者に謝辞を述べ、
続いて石川支部の中川会員が遺影に献酒を捧げ、参加者全員が白い菊の花を献花して深田久弥氏を偲んだ。
「はつしほ会」会長がこの日の為に句会会員に募り、選択した五句の俳句を朗読し献句とされた。
風もなく暖かな朝日を受けて久弥祭は無事終了した。
 続いて参加者有志は、深田久弥氏が11歳の時に冨士写ヶ岳へ登った枯淵コース(一部崩落)に
合流する五彩尾根を登った。今度は風の無いのが災いして暑い。
水分を取り、ゆっくり新緑を味わいながら山道を辿った。
タムシバや藪椿が咲き、足元にはショウジョウバカマやイワウチワが枯葉の中に彩りを添える。
山は春の息吹に満ち溢れていた。
石楠花の花に何度もシャッターを切りながら山頂を目指す。900m近くからは残雪が有り少し涼しくなった。
前山の深田久弥氏の「山の茜・・」の碑は、今年の重い雪ではずれ標柱に立てかけられていた。
我谷コースの合流点では後発の八十嶋会員と合流し、賑わう山頂に到着。
急ぎ昼食をとり記念撮影後、下りは大内コースへ降りることにした。
登りとはまた視界が変わり、南には小倉谷山、火燈山と稜線が続く。
こちらも石楠花が咲き明るい尾根下りである。視界がきかなくなるとあとは黙々と降るのみ。
登山口に着くと池本会員が林道まで車を入れて待っていてくれた。
枯淵登山口~山頂~大内登山口のコースは大正3年8月に深田久弥が大聖寺の生家から歩いたと聞いている。
8月の暑さの中を歩き通す強靭な足と情熱とあます体力がなければ、
「日本百名山」も成し得なかったのだろうと思いながら、帰路に着いた。        (文・写真 中川)
 
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